
book:カル・ダ・ニャンの物語
これは物語です。(著者:Bluecrow) |
亜人「カル・ダ・ニャン」はニャン族の末裔である。
切り株の上、耳を立て、夜目を利かせ、臭いを嗅ぐ。カルは愚痴った。
「まずい……囲まれた……」
シャドウリーパーは時々知性を持つ。そして時々群れる。今回は両方だった。
知性を持ち、群れたシャドウリーパーは狩る側。そしてカルは、残念ながら
狩られる側だった。
ニャン族のカルは、本来ならばこの窮地を切り抜ける強さと俊敏さを持っている。
だが、今のカルはというと……。
「早く起きろよビリーバー……」「Zzz……」
無力に眠りこけるビリーバーの子供を脇に抱えている。
酷く端的に言えば、カルたちはエサだった。
カルの頭に巻いた布から覗く、一本の白い羽。カルが最も誇るべき装飾品が、
今は夜に輝き、皮肉にも格好の目印になっていた。
飛び掛かるシャドウリーパー。だが、そこには誰も居ない。一本の白い羽が
ふわふわと風に舞うばかり。
「『爆炎』よ、弾けろ!!」
もともと引火性のシャドウリーパーは、一発の魔術で連鎖的に炎に包まれる。
カルはジャンプすると、白い羽を回収し、着地。なんとなくビリーバーの顔に
視線を移した。
異世界転移種<デイ・ドリーム・ビリーバー>と目が合ったのは、偶然ではなかった。
「割に合わねーな」
カルは今日何度目かの台詞を呟いた。月に一度と決めている切り札の魔術まで使ったのだ。報酬を期待するのは当然と言えた。
「すみません、僕が記憶喪失じゃなければ……」
デイ・ドリーム・ビリーバーは異世界転生時に何らかの特典を得てくるのが普通だ。場合によっては文化、文明レベルで世界を改変してしまうことも珍しくない。
そしてそれは「カネになる」。カルのようなはぐれ者がこいつを拾った理由の一つだ。
それが、魔力も知識も特殊能力も無いという。貧民窟の孤児院からも救済を断わられ、カルはビリーバーを助けたことを早くも後悔していた。
「いつまでもビリーバー呼びしててもしょうがねえか……。名前を決めろ。1分待ってやる」
「自分で決めるんですか?」
「俺が名付けたら情が湧くだろ。手前が決めろ」
「じゃあビリーにします。カル姉さん、助けてくれてありがとうございます」
疑いを一切持たない濡れた鼻を向けられて、カルは動揺で尻尾をユラユラと動かした。女だとバレるまでの時間は、おそらく過去最速記録だった。
カルが頭に巻いた布と一本の白い羽。ニャン族であることを示すオレンジを基調とした服。それは男物だった。
「何で俺が女だと分かった?」
「え? 匂いが女性じゃないですか?」
匂い。カルはそのキーワードにピンと来るものがあった。
このティ=キウーにて、太古の昔に滅んだとされている種族の中に、そのような特長を持つ者が居たはずだ。
特定の種族や個体に忠誠を誓い、一生を捧げるとされている奇特な種族。人狼の亜種。
濡れた鼻をクンクンさせて、ビリーは続ける。
「誰かに尾行されてます。清潔な匂いの靴下を履いている者が3人。貧民窟出身ではないです」
「そうかよ。じゃあとっとと追っ手を撒くぞ」
カルはそう言うと、まだ子供のビリーを抱えて屋根の上に跳躍した。
特技が何もない? 無自覚に自分が女であることを見抜き、見もしないで尾行に気付くこの子供が?
孤児院での救済なんて冗談じゃない。こいつはエアメタルの原石だ。誰にも渡さない。
「楽しい話になってきたじゃねーか」
カルは、全力で手の平を返した。切り札を持つこと。プライドを持たないこと。
それが、この雑多な街、フリップフロップで生きるコツだった。
追っ手を撒いて拠点に戻ったカルとビリーが見たものは、見るも無残な「拠点だったもの」だった。
カラフルに、そして雑多に、上へ上へと伸びていくフリップフロップという街では異質な「地下」。
そこに拠点を作るという発想は、なかなか良い考えだと自負していた。
実際に荒らされるまでは。
しかし、目的は金や宝石ではなかったのか、そういったものは盗まれていない。
カルには本当に最低限に荒らされただけのようにも見えた。
「ビリー、どう思う?」
「荒らされたにしてはきれいすぎます。目的は人で、人が隠れていないか探していた。といったところですかね」
「俺も同意見だ。だとすると追っ手は3人どころか、かなりたくさん居て、お前をさらうために……」
尻尾をゆらゆらさせて考え込むカル。
「違うと思いますよ」
「ん? 何が違うんだ?」
「僕が別の宇宙からの転生者(デイ・ドリーム・ビリーバー)なのは状況証拠からして事実だと思いますが、
それを見抜いたのはカル姉だけですし、有用性は不明です。
その時点で、3人より多い人手を割いてまで僕を確保する動きはあまりにも幼稚」
「なら誰がどんな目的で……」
「僕は、狙われてるのは僕じゃなくて、カル姉のほうだと思うんです」
「……はぁ?」
亜人カル・ダ・ニャンは、ニャン族の末裔である。幼い頃に家を飛び出し、名を少し偽り、男装して生きてきた。
実際の性別は女性。そして、女性が狙われる理由と言えば。
「たとえばそうですね……。政略結婚とか、心当たりありませんか?」
壁を埋めるように飾られた豪奢なタペストリ。敷かれた分厚い絨毯。柔らかく大きなソファ。
黄金の毛並み。赤と青の瞳。獰猛な牙。
すらりとした容姿の亜人が、ワイングラス片手に踊っている。
「おお、愛しのプリンセス、カル・タ・ニャン。……まだ彼女の身柄は確保できていないのか?」
踊りを停めた彼にかしずいた、長く黒い影のようなニャン族が、質問に答える。
「ジール・ド・ニャン様。申し訳ございません。偽名を使ってフリップフロップに住んでいる。
そこまでは事前情報通りだったのですが、カルは相当の手練れのようでして――」
「『カル様』、だ。言い直せ。次また間違えたら君の尻尾の無事は確約できないよ?」
「……カ、カル様は相当の手練れのようでして、屋上の迷宮を利用して逃げられてしまいました」
「ふむ。念には念を入れて3人の狩人に追わせたというのに、運よく逃げ切ったか……。
いやいや、変だぞ。この世に『運よく』などということはそうそうありえない。
『追われている』のに気づくのがいささか早いね。何らかの外的要因が働いたか?」
「わ、我々は裏切ったりなどはしておりません」
「そうだね。もちろん君たちが裏切ったなどとは考えていないさ。誰しも家族は惜しいものね」
黄金のしっぽが鞭のようにしなる。
「『3人でダメなら3倍で』。9人ぶつけろ。ニャン族の諺(ことわざ)にあるように、そのようにしたまえ。
もちろん傷一つつけずに生け捕りにするんだよ?」
「はい。必ずや」
長く黒い影のようなニャン族は、そのまま影の中に沈むようにとぷりと消えた。
カル・ダ・ニャンは別のセーフハウスで、武器の準備をしていた。
ビリーの言う政略結婚説が事実であれ、そうでないのであれ、このまま座して待てば追っ手が増えることは確実だろう。
捕らえられた自分を想像して、カルはぞっとする。
幼いころに部族を出奔し、男として生きてきた十数年。それを否定する者が居るというなら、それ相応の報いを受けてもらう。
足元に居る2匹の妖精猫――クロとシロ――はカルにすり寄り、エサをねだる。カルとビリーも腹が減っていたため、食事を摂った。
俗にカリカリと呼ばれる粒状の食事は、妖精猫やニャン族にとっての完全栄養食だ。味も悪くない。
ビリーが不思議そうにしていることが、むしろ不思議だった。
ビリーは荒らされていたほうのセーフハウスで、上等な服の匂いを察知していた。3人の追っ手とは違う、独特の匂いだ。
この匂いを追跡して、ビリーはSSS社(スーパーシークレットセキュリティ社)のビルのドアをくぐった。
「何の御用でしょうか」
受付の失礼ではない、しかし威圧するような台詞に、カルは拠点が荒らされたこと、セキュリティが機能しなかったこと、
そしてそこにSSS社の関係者が居たという確かな証拠が残っていることを告げた。
数分後、黒服に身を包んだ、SSS社のエージェントが一人現れる。エルフだ。
「拠点を荒らしたことは謝ろう。だがああするしかなかった。君は狙われているんだ」
「なんで俺が?」
「ニャン族の現状を知らないようだな……。ニャン族は多産だが、いかんせん数が減りすぎた。人口100以下の種族は、
一般には絶滅の危機にあるとされている。そこで、ニャン族は別の部族を頼った。デミニャン族だ」
「太古の昔に枝分かれした部族か」
「そうだ。だが代償としてニャン族は何かを支払う必要があった。それが君だ。プリンセス、カル・タ・ニャン。
もう一度言うが、君は狙われている。セキュリティを提供している我々の側にもプライドがある」
プリンセスと呼ばれ、カルは渋面になったが、すぐに顔に悪い笑みを浮かべた。
「だったら……俺にいい考えがあるぜ。ちょうど武器を調達し終えたところだ。これからそいつらを、殴りに行こうぜ」
ビリーは、濡れた鼻をクンクンさせながら、尻尾をぶんぶんと振り回していた。
ドガーン。ドガーン。ドガーン。フリップフロップの高級層の一角に、バカみたいな破壊音が響き渡る。
「な、なんだ? 何が起きている?」
ジール・ド・ニャンは突然の音と、部屋の中に差すはずのない朝日に飛び起きた。
すらりとした身体。黄金の毛並み。赤と青の瞳。獰猛な牙。そしてニャン族の優秀な狩人たち。それらは一切無力だった。
カルが調達した武器とは、象(ガルガンチュア)と呼ばれる大型の亜人。言うまでもないことだが、ティー=キウでは、質量はそのまま暴力となる。
「よう、王子様!! プレゼントの『暴力』だ。存分に受け取れよ!」
「ちょっとやりすぎてませんかね?」「や、やりすぎだ……」
ビリーとSSS社のエルフのツッコミも虚しく、カル・ダ・ニャンは象の肩の上から指示を飛ばす。
この象(ガルガンチュア)は幼い頃、ビリーと同じようにカルに拾われた過去を持つ。最終的にはその成長速度を持て余し、
象たちの元に帰す形になったものの、カルが育ての親であった時期があったことは確かだ。
いつか大恩を返そうと思っていたところに、連絡が来たものだから、この象――ミザ・パオーン――は大張り切りである。
「た、頼む。カル・タ・ニャン。命だけは助け……」
ジール・ド・ニャンの命乞い。それをカルはあっさりと無視して言った。
「それを決めるのはお前じゃない。この俺、カル・ダ・ニャン様だ」
象の一撃で壁に叩きつけられたジールから、ポキリと音がした。たぶんプライドがへし折れた音だろう。
かくしてフリップフロップではいつも通り、理不尽な暴力が、全てを解決するのだった。